群青色に染まる冬から微かに香る春の匂いは、いつもの景色を少しだけ変わって見せる。

 気まぐれな空はどこか自分と似ていたりして。寄せては返す波のような感情は言葉にすればいつでも言葉足らずで、孤独な人につけ込むようなことは言えないし。でもどこかで言葉よりも確かなものを欲しがってる。

心というものを伝えることはいつも困難で、相手の想いをくみ取ろうというのもまた困難。それでも理解を示したいと感じ取ろうとするから、針の穴に糸を通すような想いを必死で心に繋ぎとめようとする。

誰もが一度は考えたことがあるであろう「生まれた意味」を自問自答しながら、もがきながら答えを欲しがって多くのものを求め過ぎて、抱えすぎて欲望を剥き出しにする。大抵人はこんな感じに大事なものを失うんだろう。

もし、人生に意味を見出すことができないとしても、一寸先が闇だとしても、そのまた一寸先は光かもしれない。自分の生きがいを探し出すことができれば、生きることに意味をもたらすことができるのではないだろうか。モノクロの日常に彩りを加えるようににじんでいても鮮やかに見える。

「幸せの形」は人によって違う。相手が喜んでいるからといって必ずしも自分が幸せというものでもないだろう。僕には知ることのないありふれた幸せがいくつもあっただろう。

自分だけの「幸せ」を見つけることが出来たなら、それは生きがいになり、その人生は人々を魅了するように光り輝くのではないだろうか。

「さようなら」が来ることを僕らは知りながら、でも気づくことはできなくて時の速さに流されながら命の秒針は進んでいく。

「悔いのない人生を」と人々は口をそろえるようにして言うけれど、いったい何が悔いのない人生かは終わってみないとわからない。

ただ、今の自分の気持ちが向いている未来へ行ってみたとしても、また新たな「悔い」は残るかもしれない。

人間は「後悔する生き物」なのかもしれない。誰もが皆、問題を抱えている。それでも明日に希望を抱いている。暗闇から手を伸ばすように、抱え込んだ迷いがプラスの力も変わるように。

今まで出会った捨てる神と拾う神と僕が手を繋いだらいったいどんな未来が見えただろう。

今よりもっと鮮やかな未来がくるよう、僕は不確かな未来へと舵を切る。

明けない夜はないことを信じて。

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