5月に祖母が倒れ、そのあいだ新型コロナの影響で、家族も病院に見舞いにいくことができなかったが、家に戻って来たと連絡をもらった。心配だったということもあり、お盆より少し早く実家の方へ帰省した。
帰った時は緊急事態宣言もなく、県をまたぐ移動は通常通りだった。
実家に帰った翌日ニュースで愛知県に緊急事態宣言が出て名古屋へ戻れるかどうか不安だった。
そしてその不安はもっと大きなものになった。
祖母は今デイサービス、訪問看護などの様々な福祉サービスを活用して生活している。
そのデイサービスや訪問看護が僕が他県から高山の実家へ戻ってきてるということで
「お孫さんが名古屋戻られて2週間はデイサービスの利用をお断り致します」と電話が入った。
自分が悪いわけではないが、自分がいることで祖母の今までの生活ができなくなったというジレンマ。そして次の日から名古屋に戻ったという事にし、それ以降サービス関係者がいる時には物音を立てぬ様に部屋に閉じこもっていた。「そこにいるだけで何か罪を犯している様な感覚」を感じた。こんなにも「コロナ禍」というタイムリーなことが自分自身にも降りかかるとは思わなかったが、こういう偏見の様なことが日本や世界中で起き、やりきれなくなっている人々がたくさんいるのではないかと思った。
新型コロナウィルスを人に移すことによって重篤な状況にになってもしかしたら人が死んでしまうかもしれないという脅威ではある。でもこれは目に見える脅威である。
しかし、僕はこう思う。「新型コロナウィルス」がなかった時代であっても何かしら人は知らず知らずのうちに他人を傷つけたり誰かの人生を阻みながら生きていってしまうということもあるのだと思う。
そして何かしら罪を犯してしまったという様な感情や感覚になることだってあると思う。
今までのそういうものが「新型コロナ」というウィルスとなって実体化したのかもしれないとも思ってしまう。これから先、この状況がいつまで続くのかは分からないが、このコロナ禍の世界で生きていこうとそう思っている。