ジェンダーへの偏見が大きな話題になってる昨今。自分にとっても偏見だと感じるような出来事があった。
最近、名古屋市内のある音楽の体験レッスンに申し込み実際に足を運び教室に入った。
体験レッスンが終わりそのまま入会することにした。その時はスムーズに事は運んだ。
数日後、その音楽教室から電話があった「車椅子だと何かあった時対応できないので介助者を一緒に連れてきてください。そうじゃなかったらオンラインでの対応になります。」
と電話があった。僕は一貫して対面でレッスンを受けたいと言ったが教室へ入る時に段差があることやスタッフへの負担が大きい時間がかかることがあり対応が難しい という 話があった。
もし今後教室内を「バリアフリー化」する場合には連絡をいたします。と言う話だった。
自分からすれば実際に教室まで行って介助は必要だったが実際にレッスンも受けられたというのがあった。
今までだって バリアフリーが整ってなくても 対応が難しいなんて言われなかったことはなかったし ・・・。とても不愉快だった。ただ難しいと思う気持ちはよくわかる。
段差が厳しいのもくよく分かる。しかしこの「令和」の時代にバリアフリーが整ってないからだけではとてもじゃないけど納得がいかない。
しかも3大都市にあげられるほどの名古屋市であるにも関わらず小さな音楽教室だとはいえ、昭和的な回答で愕然とした。
「東京パラリンピック」が開催されようとしている時にましてや 「多様性」と言われる時代 。2026年には愛知県で「アジアパラ競技大会」が開催される予定でもあるのにちょっとなと思った。男でも女でも障害者でも足がなくても重度な障害を持っていたとしても、自分の「やりたい」に 制限なく気軽にできる日本であってほしい。
やっぱりおかしいと思ったので「障害者差別相談センター」まで問い合わせたが「双方の意見の歩み寄りが必要です」「また何かありましたら教えてください」とお役所対応であった。
昔ある人に「日本を出て海外に行ってみた方がいい」とアドバイスを受けたことがある。
「日本は自由な北朝鮮だよ」とその時言われた。なんかその時すごい納得がいった。
ただ自分が何をしたってわけではないが、何かを「気軽に」やりたいだけ・・・。自分の境遇でそれを環境がスタッフが「ない」だけで「諦める」のは違うと思う。
難しいとか何かあったら大変だとかそういうのはただ知らないからじゃないのかと思うし人は誰だって幸せになるために生きている。
それは大きな幸せではない。小さな幸せを見つけるために「やりたい」が あるんじゃないかなと思う。それが何よりも大事だと思う 。
自分自身の「やりたい」「楽しい」を小さくても体感できる人生でありたいと思っている。それが自分自身への愛であり人生である。
人によっては「苦しさを乗り越えた先に幸せがあるのだ」と思う人もいると思うが、僕自身もそう思うところはあるし昔はそうだった。
でも「やってみたいこと」を「やるから」幸せであって、もし違ってもそれでいいと思える。
自分の思いを腐らせずに言っていくようにしようと改めて思った。
私はそんな感じになりました。
そんな自分を「Love me Tender」。