へッドホンで耳を塞いだかのように人の声をかき消すセミの声は、どことなく歓迎されてるようにも、ブーイングされているようにも思えた。蒸発させてしまうかの如く、

 

 

日差しの強い夏の日だった。僕が地元を離れ一人暮らしを始めたのはそんな時だった。

 

 

まさに右も左も分からない状況、そして当たり前ではあるが知り合い一人居ない場所である。僕は寂しいと言う感情でもなく悲しいと言う感情でもない、そんな言い表せることのできない不思議な感情がそこにあった。

 

 

僕が一人暮らしをするということはヘルパーを必要とするということ。そしてその存在はとても大きい。当時、自分にとってヘルパーというものがこんなにも重要で難解なものとは思っていなかった。

 

 

ヘルパーを使う生活になって、まだ新しい生活に馴染めずにいた僕の心身に襲い掛かった。人間関係の難しさ。二人きりという空間で毎日初対面の人が家の中に入ってくるという生活に心身ともに疲弊していた。

 

 

すべての選択は、自分自身がヘルパーに食事、洗濯、掃除等を指示をする。当時の生活スタイルは週7でヘルパーが入り、毎日新しい人が次々と入ってきた。同じ作業を指示してもヘルパーによってやり方が様々で性格も様々である。ヘルパーといえど相手は人間である。たくさんの人が、僕のところへ訪れた。人間関係、感情表現が多種多様。理解に困るような人やニュース沙汰になるかも知れないと思うことも多々あった。

 

 

1クラス分以上のヘルパーが僕のところへ訪れた。そして今はとても安定した生活がある。そのおかげと言っては語弊があるかも知れないが、僕は人に対しての特殊能力を手に入れたようにも感じる。

 

 

利用者とヘルパーという立場の違いはあれど、人対人に変わりはなく、そこにできる「信頼関係」は何よりも強くなくてはならないと思っている。僕が一人暮らしをするうえで、「ヘルパー」は何よりも誰よりも時間を共有する存在。自分の意思を伝え、ヘルパー自身の気持ちも理解した上での生活でなければ、関係は短命だ。そして何よりも「フィーリング」だと思う。これはもうどうしようもできないものではあるがこの要素は重要なことだと思う。

 

 

出会いがあれば別れがあるようにどんなに関係が難しく思えても、どんなに大変な状況だとしても、別れはつらい。心が痛くなる。けれども「僕の生活」を通して色々な人たちが僕の人生を鮮やかにしたのは間違いない。たくさんの人たちの「人生模様」が。僕の人生を彩っていく。心の痛みという名の「GIFT」がいつか姿を変えて「素晴らしい未来」となって受け取れる日がくることを心待ちにしておこうと思う。

 

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