コンパスが方角を示すように、心のコンパスを一人ひとり持っている。そのコンパスに従う方法は、僕らが持っている「感情」で、それを頼りに進む必要がある。

 それでも、迷うことがある。選択を迫られたとき、壁にぶつかったとき、心の中で迷う。そんな時なにが道標になるだろう。暗闇を照らす光になるだろうか。

理想の人生と現実が違ったとしても、ショートカットできる人生などないのかもしれない。

だが「自分のやりたいこと」と「自分のできること」は違うということを知って、そこから自分の埋もれていた「淡い光に」に気付いていく。

 人生は全勝しなくてもいい。20勝19敗で勝ち越せばいいのだと僕は思う。

順風満帆に人生を歩んでいる人よりも、「挫折」や「孤独」を経験している人の方が、僕は信頼できる。

社会人になり、企業という組織へ入り、いくつかの「挫折」や「孤独」を経験したが、それがあっての今の自分でもある。

一番の近道が「直線」だとしても、道がせき止められていれば水は他の道をたどり、流れていく。「自然」は遠回りするのだと僕は思う。

理想の「仕事」「職場」ではないとしても、理想の自分になる為のステップとしての「経験値」を上げていければ、レベルが上がり自分でも知ることのなかった新たな「灯り」が1つ、また1つと灯り始める。

そしてそのためには、人との巡り合わせがとても大切だと思う。いくら目の前の仕事をこなしていたとしても、周りの人間関係や、他のバックアップ体制が自分とシンクロしていなければ、そこで心と身体の不協和音が生じてしまう。

しかしながら、自分とシンクロできる相手と巡り合うことはとても難しい。自分が「この人と合いそうだ」と思っても、疎遠になったり「合わなそうだ」と思っても、永く続いていく人だっている。

外へ出れば人が溢れ、その多くの人たちとすれ違っても、そのまま過ぎていってしまう。

だいたい人生で自分が出会う人というのは決まっているのだと思う。

たとえ、自分の人生が。巡り合う人が。決まっていたとしても、この人生で経験できる歓び、巡り合える幸せを感じ僕は生きていきたい。自分の中のキャンパスに描かれた「夢」や「希望」が色あせて、手に入れたものと引き換えに切り捨てたいくつもの輝きを、もういちど探し当て、かき集める事ができたなら、

僕の1センチメートル先を照らす「輝き」を頼りに前に進める気がする。それが自分の「道標」なのだから。

「1センチメートル先の輝き」への1件の返信

  1. このコロナ渦の中でも、人それぞれの意識、行動が連なっていって。収束への標と
    なりますように。takuchanもご自愛くださいませ。

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