人は生きていれば沢山の青と出会う。
青春という青を知り、いつしか人生の青写真を心に写し出す。
でも動かないものばかりで、挫折を知り自分の青さを知っていく。そんな憂鬱な日々をどうにかこうにかプラスに考えようとして飲むサプリメントは、効いたかどうだか半信半疑のまま消えていって、自己満足のまま終わる。片一方の頬を差し出せるような潔さを持てたなら、どんなに気持ちが楽だろう。それでも、自己否定はしたくないから、自己肯定感を無理やりほじくり出す。
「平等」などあり得ないこの人生は、スタート地点も、富裕者、貧困者、障害者、健常者、命の長さも人それぞれ違う。そうとわかっていながら「平等だ」「偏見だ」と吠える。平和だ平等だなどと、「理論武装」して相手を非難するだけの政治家に嫌気がさしてテレビのチャンネルを変える。
でも、ひとつ、人間が優れているとすれば、人は生まれながらにして想いのインパルスを持っているということだ。声を届けたいと、触れ合いたいと思っている。だから僕たちは絶えず何かのサインを送り、メッセージを待っている。
どんなコミュニケーションツールよりも効果的に相手に伝えるものは「感情」だ。声を発するとき人は本能的に耳を傾けようとする。たとえ、話し手が言いよどんでいたとしても、人は「理解」しようと努力する。人間の声はどんな楽器よりもどんな音とも違う。だからオーケストラ、ビックバンドのような大きな音が鳴っても歌手の声は聞こえる。僕たちは聞き分ける能力を生まれながらに持っているのだ。人の感情によって声色も変わってくる。感情は生物で腐りやすい。子供のときのワクワクもドキドキも一瞬だ。その感情を「真空パック」にしておくことができたなら、どんなに毎日が楽しいものになるだろうか。
楽しい思い出はお湯のように蒸発してなくなってしまう。オブラートに包んで飲みこんだはずの悲しさや苦しさは、心に焼き付いて、ケロイドみたいにうずいてしまうから、いっそのこと電信柱のように蹴られても、殴られても痛くないよう心に麻酔をかけてくれと僕の中の少年が叫ぶ。それでも心は手を伸ばし続けるから、また彷徨ってわずかばかりの未熟な情熱を握りしめ、僕は手を伸ばす。『21グラム』の使命を終えるまで。
※「21グラム」の使命とは、人が死んだとき、21グラム軽くなるという誰もが等しく失う魂の重さのことを指しています。