2011年3月11日金曜日、14時46分。あれから10年。当時、僕は埼玉県所沢にある国立リハビリテーションセンターにいた。漫画家の井上雄彦氏原作の「リアル」のモデルにもなっている施設だ。当時は首都圏での生活をするために寮での生活を送りながら職業訓練を受けていた。次の日は休みという事もあり、西武新宿線に乗り新宿へ遊びに行こうと思っていた。
突然激しい揺れがあり、PCや蛍光灯がガタガタと激しい音を立てて揺れ、何が起こったのかわからなくなった。『みなさん机の下に隠れて下さい』その声だけが響いていた。車椅子の僕は机の下に隠れる事もできず、上から蛍光灯が落ちてきたら終わりだろうなと感じながら、揺れがおさまるのを待った。今まで感じたことのない地震。部屋へ向かうとほとんどの物が床に散らばっていた。外へ出てみると、横断歩道を渡る信号機が止まっていた。テレビを見てゾッとした。電車が止まり、家路につけない人々の列が映し出され、もし自分だったらと思ったら恐怖を感じた。
その日から夜中になると、余震が続き、なかなか寝付けなかったことを覚えている。
計画停電も経験した。トイレをどうしようと思うこともあったと思う。
寮に入ってる人たちは全国から集まってきていて、東北の人も多かった。家が流された。家がない、家族と連絡が取れない。そんな人たちがたくさんいた。「君は地元どこなの?」と聞かれ「岐阜県です」と答えると「君は家があっていいね、僕にはもう家がないから」と声をかけられた事もあった。その時、僕はなにも返す言葉が見つからなかった。
震災の影響でテレビをつければ、毎日のように怒りと悲しみが入り混じる泣き叫ぶ声が流れていた。
時期を同じくして自分の思うような結果も出せずいた自分自身も精神的に荒れていた。そして退寮の日がきて僕は地元に戻った。
しばらく時間が経ち、ある日電話が鳴った。「福島県南相馬市へ復興支援のボランティアに一緒に行きませんか」知人の方からの電話だった。「興味はありますけど、ボランティアってなにもできませんよ」「じゃあ行きましょう。迎えに行くので、トランペット準備しておいてください」
そして福島南相馬市へ行くことになった。現地に到着すると「ARTS for HOPE」という東日本応援プロジェクトだった。そのオープニングアクトでの演奏を任されたのだ。正直びっくりした。でも自分にも何かできることがあればと思い切って引き受けた。演奏中1人ではない感覚。僕には聞こえていた。大切だったあの人がカタチを変え「青い影」になり支えてくれたのだと思った。
そして演奏後、涙を流してくれた人たちもいた。震災後からどこかにしこりみたいなものが数年の時を経て解消され、「14時46分のレクイエム」になった気がした。
忘れてはならない記憶とともに・・・。
あの日、僕の妹は学校の友達と卒業旅行ということで、
某夢の国に遊びに行っていて、なかなか電話も繋がらないし、
夢の国のすぐ近くも液状化現象が起きているってニュースでは言ってるし、
次の日予定を切り上げて家に帰ってくるまで心配していました。
被災地ではいまだに復興の半ばというところもあり、
そんな中での、「復興五輪」
違和感を感じてしまいます。